2009年2月25日水曜日

新しい動画の完成!★!

アフリカで紛失していた動画テープがもどってきたので、
編集しました!!
よかったらのぞいてみてください★
新しく加わった動画は

幸福のアラビアと称されるイエメン


ケニアの国境の町ナマンガ


そして最後に

タンザニア ~インド洋の宝石~ ザンジバル島


です!!
3月中にちょくちょく残りをあげていきます♪

お楽しみにですぅー!!

恭平

2008年9月9日火曜日

ホームページが完成いたしました!

お久しぶりです!ご無沙汰しております、ロハスパッカーズの吉川です!
えと、この度cafebarロハスパッカーズのウェブサイトが完成しましたので、こちらにリンクを貼っておきます!! 

こちらがサイトです→ http://www.lohaspackers.com/cafebar

トップページとマップページしか完成しておりませんが、今後中身のコンテンツを充実させていきたいと思います!!! 素敵なウェブデザイナーさんが作ってくれてはるので、お楽しみです!!

よければお店に遊びにきてください!!
お待ちしております!!! 

2008年9月2日火曜日

世界の物価上昇・・・・




最近物価上昇に伴い、相次いでさまざまなものの値段が上がっています。ロハスパッカーズで扱うオーガニック商品も、今後どんどんあがっていくと想定されます。。。。 九月から相次いでいろいろな食材が値上げされていますが、私達以上にこの打撃に苦しんでいる人がたくさん世界中にいるということ。みなさん、ご存じでしょうか!? 

昨年半年間旅行していて気付いたこと。それは、物価上昇が著しく世界中で進んでいるという事実。中央アジア、アフリカどこにいってもそれは体感でき、旅行先に持参したガイドブックにのっている値段が全然あてにならかったのを覚えています。中央アジアでは2007年に発行されたガイドブックを持参していたのですが、そこにのっている値段が、約1.5倍~3倍にまであがっていました。当然3年以上前に発行されたものはあてになりませんでした。
 
最近日本では石油価格が一時的に下落しているようですが、発展途上国では急激な物価上昇に伴い悩まされている人がたくさんいるという事実。生活水準の高い日本でさえ、物価上昇が懸念されている中、こういった国では日常生活に大きな打撃を与えているということを最近いろいろ考えさせられます。たとえば、昨年訪れたタンザニアという国。

こちらでの物価高騰の激しさには相当なものがあります。石油の純輸入国であるタンザニアでは、ガソリン1リットルの値段は日本円換算で167円、これがディーゼルになると日本より高い185円!庶民の足であるダラダラ(タンザニアの乗り合いバス)は、昨年の同時期に150~250シリングだったものが、現在250~300シリング、米1kgは550~700シリングが最高で1,200シリング、肉1kgは2,000シリングが3,000シリングといった具合だそうです。

ここまで物価が上昇すると、本当に人々の生活に大きな打撃を与えます。。。
タンザニアの一人当たりのGDPは330ドル(米ドル/2005)です。。

こういった国で生活する人々がいかに大変な生活を余儀なくされているか・・・
ヒトゴトではないということ。
そのことを念頭に置いて、今後も活動していきたい・・・

2008年8月22日金曜日

新しい形でロハスパッカーズ出動!




思い残せば一年前。われわれロハスパッカーズはユーラシア大陸横断にチャレンジし、昨年の今頃はキルギスタンあたりを旅していました。言葉の通じない国をさまよい、現地でヒッチハイクやホームスティをさせて頂き、未知の世界をさまよっていました。

それから一年。

われわれは新しいことにチャレンジするため、違った形で旅をまた再開しました。

今回の旅は大阪・肥後橋で週末だけ営業(金曜日・土曜日 営業時間;17:30~26:00)のカフェ・バーをオープンすることに。
今日は記念すべきオープン日です!!!
名前はロハスパッカーズ

旅とロハスをコアコンセプトに置き、アットホームな空間の中で、大阪の都市部から環境movementに取り組みます!!
はじめての試みのため、正直緊張しており、未知の世界をまたさまよっていますが、このチャンスをものにするため、妥協をせずに一生懸命がんばっていきます!!!
無農薬野菜、オーガニックドリンクといった厳選した素材を中心に、お客様に安全で環境にやさしいロハスなメニューを提供できればと思います。
去年の旅をふりかえって(http://www.lohaspackers.com)自分達の思いを大切にし、今日
からがんばっていきます!!!
いろいろサポートしていただいた方々、これから出会うみなさま
一言

本当にありがとう!

では、今から用意していってきます!!!

2008年1月18日金曜日

伊丹;昆陽池(こやいけ)公園

久しぶりです。みなさんいかがお過ごしでしょうか?
私ヨシカワは最近風邪をひいてしまい、鼻水が止まりません。はい、寒いです日本は。
えっとですね、動画があがったので、こちらにリンクのせときます。
今回の動画はエチオピアの首都アディスアベバのものです。先日グルジア編も上げたので、もしよかったらそちらものぞいてみてください。
アドレス→ http://www.lohaspackers.com/

せっかく久しぶりにブログを書くので、昨日訪れた阪神大震災の追悼式のことを少し書きたいと思います。
1995年1月17日;6434人が犠牲となった阪神大震災、当時私はまだ小学生。寝ていると突然揺れ始め、本棚から本が“ドドドドドーーン”と頭に落ちてき目覚めたことを。学校へむかうと休校。そして、その日から数週間ずっと断水だったことを。伊丹のおじいちゃんの家はほぼ全壊。数キロしか離れていないのに、これは本当に悲惨な出来事。毎日家の近くに来るトラックのところまでお水を汲みに行き、生活していた日々は悲惨なものがあった。
そんな出来事から昨日の17日で、ちょうど13年。
すっかり頭の中から忘れかけていた記憶。
たまたま夕方テレビをつけると近くで追悼式をやっている模様が映し出されており、
思い出すさまざまな記憶。

ここは行くしかない!!!

そう思いつき、夜中に友達に電話しバイクで伊丹へ向かう吉川。
めざすは伊丹の昆陽池公園。
到着するとやっているではありませんか、
6434本のろうそくが灯され、あたり一面美しい光。



今年は「めぐる」をテーマにしたそうです。繰り返される災害の悲惨さや防災を考えようと、循環する輪が地球を囲む様子をろうそくで表現していたそうです。
あいにく昨日は風がとても強く、ろうそくが消えてしまう非常事態が多々起こり。。。。

ボランティアスタッフと一緒になりながら私達も必死でろうそくに火を灯し、
少しでも約にたてればと数時間ねばった。



自然災害は本当に恐ろしい。
そんなことを思い出した一日でした。



阪神大震災の犠牲者6,434人に黙祷

2008年1月4日金曜日

旅180日目 ”旅の終わり”

日本帰ってはや一週間。
無事帰国しました。短かったようでながかったユーラシア大陸横断、東アフリカ縦断。
この数万キロに及ぶ私達の旅で、さまざまな新しい出会い、別れ、そして国境越えをする度にはじまる新しい世界をみてまわってきました。
気候、食べ物、音楽、生活習慣、文化などさまざまな側面で日本と違った国々。
これからをすべて見て、聴いて、触れることによって見えてくる
本当の世界。
日本にいると一生知る(気づく)ことのない各国の地域情勢、とりわけ地元民の生活。
時よりショッキングで、発見だらけの経験。
最初は日本とすべてのものを比較し、見てしまっていたこれらすべて。
しかし私達の常識とかなりかけ離れた世界で生きる人々を毎日のように拝見するにつれて、
いつしかそれが当たり前で気にならなくなり、
時よりうらやましく思っていった。

これらは今となれば思い出。
ただ思い出す度に、その思い出は私の中でいろいろな形で私に呼びかける。
日本という国に帰国して、自分はどう思うんだろう?帰ったら最初に何を食べようなどと話しながら旅をしていた私達。
いざ日本にもどると平凡な私生活が待ち構えていた。
新鮮さを感じるかと思いや、これと言って何も感じない。
都市部に出ればクリスマスカラーで染まる町並み、町でぼーっと人を観察しても皆何か急いでいる感じがする、そしてテレビでは毎日のように去年を振り返り“偽”の年と伝えるメディア一同。
いつでも帰れる家があり、食料だってある。

“本当に平和”だな。

決してこれが悪いとは思わない。ただ、こうした私達の平凡な生活はさまざまな犠牲を経て成り立っており、このような生活を送りたくてもおくれない人々はたくさんいるという事実。
このことを自分が忘れてしまうことが何か怖い。


ここで少し旅を振り返ってみたい。
旅先で出会った人との話し、印象に残ったこと何個か簡単に紹介したい。

1、 中国―天地;この羊、さっきの羊。
※ 天地で訪れたカザフ族の家。水道もなきゃ、電気も通っていないここの家。この日はたまたま彼らの親戚が隣国カザフスタンから来ており、みんなで祝っていた。そこに招待された私達。そこでだされた食事。羊。それもさっきまでそこで草をむしゃっていた羊。


 
2、 キルギスタンービシュケクにて;うちの妹が今日盗まれた。
※ たまたまビシュケクのゲストハウスでのんびりしていたら日本語をしゃべれるオーナーの奥さんが言い出した。どうやらキルギス、いやここ中央アジアのほとんどの国では昔から結婚したい女の人を誘拐し、家に持ち帰り結婚するという文化があるらしい。ためしに郊外でその話を地元の人にしていたら、まわりにいたおばちゃんが何人かやってき、“私も昔今の旦那にぬすまれたのよ!!!”と言い出した。
見知らぬ人でも誘拐してもいいというのだからびっくり。日本じゃ捕まりますよね。



3、 ウズベキスタンームイナク;お前、海って広いんか?見たことあるんやろ。
※英語をしゃべれる博物館のおじさんに言われた一言。今まで考えたこともなかった。海を見たことがない人がいるだなんて。決して貶している訳ではない。ただ日本にいると海はそれほど珍しいものでもなきゃ、誰でも行ったことのある場所。世界では私たちは日々の生活の中で当たり前のようにみているものをめずらしがるんだな。そう実感させられた一言。

4、 グルジアーゴリ;お前達には希望がある。明日がある。この国もいずれそうなるやろか?
※ グルジアのゴリで出会ったおじさん。彼は私達を近くの世界遺産に案内してくれ、グルジアの歴史、また今の現状について熱く語ってくれた。自称25歳の彼。仕事がないため、毎日町に出かけ観光客を探してはガイドをしているそうです。そんな彼に自分の将来を聞かれた時日本の就職状況を説明し、自分の意見をいう。それを聴いた彼が言った一言。

5、 イランーテヘラン;私もあなた達のように世界を見たい、でも見れないんだ。男にうまれたかった。。。
※テヘランの地下鉄で迷っていると、見知らぬムスリムの女の子が宿まで案内してくれた。電車の中で仲良くなり、自分達の旅の話をしていると、ぽつんと彼女が言った一言。イスラムの世界では女は何も出来ない。男にうまれたかった。勉強したいこともたくさんあるし、見たい世界もたくさんある。けど、この国では出来ないと言う彼女。

6、 イエメンーサナア;お前達は何のために生きている?
※ サナアの町を歩いていると、いつものように声をかけられ結婚式に招かれることに。そこで出会った人々にお前の宗教はときかれる。一応仏教だと答えたものの、自分は熱心な信者でもなく、どちらかといえば宗教を信仰していないと答えた。その時言われた一言。



 
7、 エチオピアーダルエスサラーム;明日やるて、そんなんで他の患者が見れるか?
※ダルエスのマザーテレサボランティア施設(エイズ患者、結核患者の治療施設)にて。麻酔なしで治療をする日本人医師。患者は痛さのあまりに叫び、もがいていた。それを見て現地スタッフの人が先生明日にしましょうと一言。それに対して日本人医師が言った一言。

8、 ケニアーナマンガ;Why?
※ 町を歩いていると、いつものように現地人が私達に近づいてき、お金をくれだのと言ってくる。その時一緒にいた東京出身のケイジの言葉“why?”!!
この言葉を言えばなぜか現地人は黙りはじめる。むしろ理由をいえない人がたくさんいた。それがなんだか不思議で印象に残っている。

9、 タンザニアーザンジバル;海に行けばなんでも取れる。お金なくてもなんの問題なく暮らせるで。
※いつものように子供達と海岸で遊んでいる時突如現れたおじさん。彼と仲良くなり、ザンジバル島での生活についてきいてみる。彼は仕事をしていないそうなのですが、3人の子供を持つパパだそう。どうやって生活しているんだときくと彼が私にこう言った。海が近くにある限り、私には何一つ不自由はないと。



10、 ナミビアーウィンドフーク;夜外を気にせず歩けるなんて幸せやな。
※ 泊まっていたゲストハウスで夜は安全かとレセプションのお姉ちゃんにきく。暗くなってからは出歩かないほうがいい。こないだもアジア人がやられたよと。何が危ないんだときけば、人と答える彼女。そんな彼女にあなたの国ではどうなのときかれ、安全だよと答えるロハス。それをきいた彼女はため息をつきながら言った一言。

ここで紹介したものはほんのわずかに過ぎない。

本当に、色々と貴重な体験が出来たと思う。
思い返してみて、思うことが3つある。

・出会った人々の目に映り、感じた私とは、
 そして、そんな私を通して見た日本とはどのようなものだったのだろう?
(私は旅先で、出会った人々を通して、その国を見ていた。相手も同じだと思う。そうすると、彼らには何が見えたのだろう?こう思ったとき、自分の過去、自分の周りの人々、日本についての興味がふっと湧いてきた。「もっと、違う世界を見てみたい!」外への好奇心で飛び出したけれど、旅に出てきて、内に対する好奇心を抱くようになった。)

・平穏な日常は、もろく、不安定なものだということ。
(泥棒、強盗など旅の日常ではよく聞く話。「今日、隣の国でクーデターがあり、隣の国への軍事侵攻が始まった。」ということを、インターネットを通して知ったり、つい1週間前に独立記念パレードに参加していた広場で、「大統領に対するデモが起こり、死傷者、逮捕者が出ている。」というアナウンスと共に、デモ隊と警官が衝突している映像がテレビで放映されているのを見たこともあった。そんな時、ふと思った。日本にいて当たり前だと思っている、身の安全、明日の生活。これは本当はとても貴重なものなんじゃないか?自分の境遇が恵まれている実感すると、ありがたい気持ちになってくる。)

・見ず知らずの、言葉も通じないような人に、
自分はどこまで親切にすることが出来るだろう?
(道に迷う、だまされる、言葉が通じないなど、色々と面倒なことがあったけれど、必ず、誰かが助けてくれた。特にイスラム圏では、本当に信じられないほど、親切な人々に助けられた。彼らの旅人に対する好奇心、心の広さのおかげで、どれほど救われたかわからない。日本にいて、自分は同じように振舞えるだろうか?でも、人との交流からくる温かな気持ちを、自分でも味わいたいし、日本に来た旅行者にも味わってもらいたいと思えるようになった。好奇心と寛容さ、実践していきたい。)

世界は広く、多様だ。このあたり前のことを、言葉じゃなく、心と体で実感出来た。

しかし、今回の旅先でも目にした、壊れ行く自然の景観を思うと、悲しくなってくる。

中国では、あらゆる観光資源に手を加えようとしているようで、新しく造られたゲートの周りは、自然も歴史も感じさせないような、まるでショッピングモールのような状態になっていた。
ウズベキスタン、トルクメニスタンにおける、
過度な灌漑によるアラル海の汚染は今なお続いている。
アゼルバイジャンのバクーの港から見たカスピ海は、石油で黒光りしていた。
カザフスタンの団地の前の歩道で、そしてサバンナの真ん中にあるマサイ族の村で、
いたるところで、使いきりタイプのプラスチック袋に入ったトイレタリー製品のカラフルなゴミが、投げ捨てられ、風にゆられていた。

まだまだこれから行ってみたいところがたくさんある。
見てみたい緑の風景がある。
歩いてみたい草原がある。
泳ぎたい海がある。
そんなところが刻一刻と、
急激な速さで汚れていく。壊れていく。

自然破壊を防ぐには、
どうすればよいだろう。

ただ考えるだけでは、何も変わらない。

人の生活によって、
壊されていく自然。

生活の中で、出来ることを
やっていくしかない。

買い物のついでに、使い終わったポリ容器をリサイクルBoxに。
いらないものは、買わないし、もらわない。
ありふれた使い捨てじゃなく、使いやすい、大切な自分の食器で食事をとる。

Lohasな生活とは結局、
本当に必要なもの、大切なことを見極めて、
自然にも人にも優しく生きていくこと。
その心の強さを養い続ける生活なんじゃないか。
この旅を振り返り、ふとそう思った。

長々と失礼しました。
応援してくださってどうもありがとうございました。
ブログは今回で一旦、終了させていただきますが、
動画、写真などは1週間に2度、月、金曜日に更新していく予定です。
また、旅の費用に関する情報も更新していく予定でいます。
すべてが終わるまで、応援してくださるよう、よろしくお願い致します。

PS 新しい動画を一本アップしました。あ、あと写真も。
こちらの方もよければのぞいていってください!

動画→ http://www.lohaspackers.com/
写真→ http://www.lohaspackers.com/photo.html

2007年12月23日日曜日

旅170日目 ”偉大なる喜望峰”

南アフリカ。世界でもっとも治安の悪い町ヨハネスブルグのある国。
到着前かなりびびりながらバスに乗っていたロハス。時よりバスの中で近くのおじさんの会話を盗み聞きすると、先週友達がやられただの、強盗の話をしているではありませんか。

“ヤバす!!”

ひたすらガイドブックと睨めっこしながら万全の体制をバスでととのえるロハス。
ガイドブックをよく見ると書いているではありませんか。
危険だと・・・
ビビリだすといろいろなことを妄想してしまい、どうやって宿へとりあえず向かうか考えるロハス。

そしていつの間かバスは着々と目的地に近づき、夕方恐怖の町ケープタウンに到着。。。

“なんじゃーこりゃー!!!”


とても大きな高層ビル、そしてインフラ整備がかなり整ったヨーロッパ風の明るい町。
物価も高く、白人がちらほらそこら中を歩き回っている。信号もありゃ、リサイクルをしゴミを拾っているおじさん、馬に乗った警官、そしてどこにも警備員。
想像していた地獄の場所とは違いここは楽園。
到着日天気もよく、地元の人もみんな親切。
ためしに警察に治安のことを聞くと、私達の宿周辺(long street)は安全とのこと。



これはステキじゃ!!

重いバックパック、そして現地人(アフリカのなんとか族の人)と物々交換して手に入れたバカデカイ椅子を担ぎ(吉川)宿へ。
宿到着後しばらく休憩し、夜の町へ繰り出すことに。
この日はナイトマーケットへむかうことに。
(どうやら年末まで期間限定でやっているイベントらしい)
南半球ということもあり、夜の八時ごろまで日がでており、明るい中夕食をとるロハス。
家族連れの人、カップル、ホームレスの人とさまざまな人が集まるこのイベント。
お店が道路沿いをうめ、日本でいうお祭りみたいなもの。
ステージでは誰か歌っているし、上を見上げるとクリスマスデコレーションはあるはと
なかなかいい雰囲気。
数時間ここでのんびりし、動画とりに夢中になるロハスとけいじ氏(以前のブログで紹介した東京出身のイケメン学生)。

翌日は念願の喜望峰へ向かうということもありこの日は早めに宿へ戻り休むことに。

翌日

念願の喜望峰。英語でもその名の通り”Cape of good Hope” となかなかイカシた名前。


喜望峰をめざすためバスに乗り込み、最後の観光がスタート。
最初に訪れた場所がboulders beach!ここはかなりステキな場所。
岸沿いをうめつくす南アフリカペンギンの群れ!!
警戒心のないこのペンギンは人間をペンギン以下の動物とみなしているみたいで、
かなり近づくことができます。
ちなみにこちらが写真です。

ペンギンに夢中になる吉川。ほとんどのペンギンがカップルでいるため、あまり近づきすぎると威嚇されます。
咬まれないようおそるおそる近づく吉川。いやあ、可愛かった!!しばらくペンギンのグラビア撮影に夢中になる吉川。
ここで十分に満足することができ、次の目的地喜望峰へむかうことに!
喜望峰がある岬は国立公園になっており(Table Mountain National Park)私達はバスでその中へ入った。
Atlantic Oceanの冷たい潮風、そしてIndian Oceanがもたらすぬるーい風が入り混じっており不思議な場所。
※雑談ですがインド洋の海水温度は22度以上 アトランティックは11度以下らしい
その両面からの風がとても強く、喜望峰に近づくにつれその風の力がどんどん強くなっていく。
ここで簡単な紹介

ケープタウンから南へ向かって伸びた半島で、アフリカ大陸最西南端の喜望峰がその先端にある
ケープタウンの名前は、この喜望峰(英語では"Cape of Good Hope")にちなんでつけられた。
ケープ半島先端部は喜望峰自然保護区になっており、美しい自然と数々の野生動物が生息している。
標高210メートルのケープポイントには1860年に建てられた灯台が残って、現在は展望台として使用されている。
喜望峰がアフリカ大陸最南端の場所とされているそう。
ケープタウンから南へ向かって伸びた半島で、アフリカ大陸最西南端の喜望峰がその先端にある
最初の名は1488年に発見したバーソロミュー・ディアスが「嵐の岬」つけた。夏には南東から、
冬には南西からの強風が吹く上、南極周辺の「吠える40度線」の海から巨大な大波が押し寄せ、
大航海時代から海の難所として恐れられ、数々の幽霊船伝説も残る海の難所である。
教科書おなじみのバスコ・ダ・ガマはディアスの9年後、更に東進してナタールに至り、インド航路を発見したとされている

喜望峰にいざ着くとその偉大さにまた圧倒されるロハス。なんせ標高210m、両方の海面から吹くとてつもない強風が私達を迎え入れ、そこでは立っているのが精一杯。
あわてて帽子をぬぎ、いざ最南端めざして歩くロハス。
坂道を登っていく時、これで旅が終わるんだ!長いようで短かったなと少しさみしさを感じながら登る吉川。
歩くこと10分。いざ頂上へ!
バスコダガマが訪れたという喜望峰に到着。

空を見上げれば数多くの海鳥、前方を見れば喜望峰の両面から二つの海流が交じり合うなんとも言えない美しい景色。
そこに立つ私達はぼーっと水平線をしばらくの間眺め、アフリカ最南端にきたことを改めて実感。
旅の終わりにふさわしい場所。



そう話ながら数時間後私達はこの場を経った。


PS少しおくれましたが先日新しい動画をアップいたしました。
今回の動画はナゴルノカラバフ共和国のものです。みなさんこの国のことご存知でしょうか?
詳しいことはこちらで→ http://www.lohaspackers.com/

また写真のほうもケニアの残り+タンザニア編アップしました。
→ http://www.lohaspackers.com/photo.html

ではでは