2008年1月4日金曜日

旅180日目 ”旅の終わり”

日本帰ってはや一週間。
無事帰国しました。短かったようでながかったユーラシア大陸横断、東アフリカ縦断。
この数万キロに及ぶ私達の旅で、さまざまな新しい出会い、別れ、そして国境越えをする度にはじまる新しい世界をみてまわってきました。
気候、食べ物、音楽、生活習慣、文化などさまざまな側面で日本と違った国々。
これからをすべて見て、聴いて、触れることによって見えてくる
本当の世界。
日本にいると一生知る(気づく)ことのない各国の地域情勢、とりわけ地元民の生活。
時よりショッキングで、発見だらけの経験。
最初は日本とすべてのものを比較し、見てしまっていたこれらすべて。
しかし私達の常識とかなりかけ離れた世界で生きる人々を毎日のように拝見するにつれて、
いつしかそれが当たり前で気にならなくなり、
時よりうらやましく思っていった。

これらは今となれば思い出。
ただ思い出す度に、その思い出は私の中でいろいろな形で私に呼びかける。
日本という国に帰国して、自分はどう思うんだろう?帰ったら最初に何を食べようなどと話しながら旅をしていた私達。
いざ日本にもどると平凡な私生活が待ち構えていた。
新鮮さを感じるかと思いや、これと言って何も感じない。
都市部に出ればクリスマスカラーで染まる町並み、町でぼーっと人を観察しても皆何か急いでいる感じがする、そしてテレビでは毎日のように去年を振り返り“偽”の年と伝えるメディア一同。
いつでも帰れる家があり、食料だってある。

“本当に平和”だな。

決してこれが悪いとは思わない。ただ、こうした私達の平凡な生活はさまざまな犠牲を経て成り立っており、このような生活を送りたくてもおくれない人々はたくさんいるという事実。
このことを自分が忘れてしまうことが何か怖い。


ここで少し旅を振り返ってみたい。
旅先で出会った人との話し、印象に残ったこと何個か簡単に紹介したい。

1、 中国―天地;この羊、さっきの羊。
※ 天地で訪れたカザフ族の家。水道もなきゃ、電気も通っていないここの家。この日はたまたま彼らの親戚が隣国カザフスタンから来ており、みんなで祝っていた。そこに招待された私達。そこでだされた食事。羊。それもさっきまでそこで草をむしゃっていた羊。


 
2、 キルギスタンービシュケクにて;うちの妹が今日盗まれた。
※ たまたまビシュケクのゲストハウスでのんびりしていたら日本語をしゃべれるオーナーの奥さんが言い出した。どうやらキルギス、いやここ中央アジアのほとんどの国では昔から結婚したい女の人を誘拐し、家に持ち帰り結婚するという文化があるらしい。ためしに郊外でその話を地元の人にしていたら、まわりにいたおばちゃんが何人かやってき、“私も昔今の旦那にぬすまれたのよ!!!”と言い出した。
見知らぬ人でも誘拐してもいいというのだからびっくり。日本じゃ捕まりますよね。



3、 ウズベキスタンームイナク;お前、海って広いんか?見たことあるんやろ。
※英語をしゃべれる博物館のおじさんに言われた一言。今まで考えたこともなかった。海を見たことがない人がいるだなんて。決して貶している訳ではない。ただ日本にいると海はそれほど珍しいものでもなきゃ、誰でも行ったことのある場所。世界では私たちは日々の生活の中で当たり前のようにみているものをめずらしがるんだな。そう実感させられた一言。

4、 グルジアーゴリ;お前達には希望がある。明日がある。この国もいずれそうなるやろか?
※ グルジアのゴリで出会ったおじさん。彼は私達を近くの世界遺産に案内してくれ、グルジアの歴史、また今の現状について熱く語ってくれた。自称25歳の彼。仕事がないため、毎日町に出かけ観光客を探してはガイドをしているそうです。そんな彼に自分の将来を聞かれた時日本の就職状況を説明し、自分の意見をいう。それを聴いた彼が言った一言。

5、 イランーテヘラン;私もあなた達のように世界を見たい、でも見れないんだ。男にうまれたかった。。。
※テヘランの地下鉄で迷っていると、見知らぬムスリムの女の子が宿まで案内してくれた。電車の中で仲良くなり、自分達の旅の話をしていると、ぽつんと彼女が言った一言。イスラムの世界では女は何も出来ない。男にうまれたかった。勉強したいこともたくさんあるし、見たい世界もたくさんある。けど、この国では出来ないと言う彼女。

6、 イエメンーサナア;お前達は何のために生きている?
※ サナアの町を歩いていると、いつものように声をかけられ結婚式に招かれることに。そこで出会った人々にお前の宗教はときかれる。一応仏教だと答えたものの、自分は熱心な信者でもなく、どちらかといえば宗教を信仰していないと答えた。その時言われた一言。



 
7、 エチオピアーダルエスサラーム;明日やるて、そんなんで他の患者が見れるか?
※ダルエスのマザーテレサボランティア施設(エイズ患者、結核患者の治療施設)にて。麻酔なしで治療をする日本人医師。患者は痛さのあまりに叫び、もがいていた。それを見て現地スタッフの人が先生明日にしましょうと一言。それに対して日本人医師が言った一言。

8、 ケニアーナマンガ;Why?
※ 町を歩いていると、いつものように現地人が私達に近づいてき、お金をくれだのと言ってくる。その時一緒にいた東京出身のケイジの言葉“why?”!!
この言葉を言えばなぜか現地人は黙りはじめる。むしろ理由をいえない人がたくさんいた。それがなんだか不思議で印象に残っている。

9、 タンザニアーザンジバル;海に行けばなんでも取れる。お金なくてもなんの問題なく暮らせるで。
※いつものように子供達と海岸で遊んでいる時突如現れたおじさん。彼と仲良くなり、ザンジバル島での生活についてきいてみる。彼は仕事をしていないそうなのですが、3人の子供を持つパパだそう。どうやって生活しているんだときくと彼が私にこう言った。海が近くにある限り、私には何一つ不自由はないと。



10、 ナミビアーウィンドフーク;夜外を気にせず歩けるなんて幸せやな。
※ 泊まっていたゲストハウスで夜は安全かとレセプションのお姉ちゃんにきく。暗くなってからは出歩かないほうがいい。こないだもアジア人がやられたよと。何が危ないんだときけば、人と答える彼女。そんな彼女にあなたの国ではどうなのときかれ、安全だよと答えるロハス。それをきいた彼女はため息をつきながら言った一言。

ここで紹介したものはほんのわずかに過ぎない。

本当に、色々と貴重な体験が出来たと思う。
思い返してみて、思うことが3つある。

・出会った人々の目に映り、感じた私とは、
 そして、そんな私を通して見た日本とはどのようなものだったのだろう?
(私は旅先で、出会った人々を通して、その国を見ていた。相手も同じだと思う。そうすると、彼らには何が見えたのだろう?こう思ったとき、自分の過去、自分の周りの人々、日本についての興味がふっと湧いてきた。「もっと、違う世界を見てみたい!」外への好奇心で飛び出したけれど、旅に出てきて、内に対する好奇心を抱くようになった。)

・平穏な日常は、もろく、不安定なものだということ。
(泥棒、強盗など旅の日常ではよく聞く話。「今日、隣の国でクーデターがあり、隣の国への軍事侵攻が始まった。」ということを、インターネットを通して知ったり、つい1週間前に独立記念パレードに参加していた広場で、「大統領に対するデモが起こり、死傷者、逮捕者が出ている。」というアナウンスと共に、デモ隊と警官が衝突している映像がテレビで放映されているのを見たこともあった。そんな時、ふと思った。日本にいて当たり前だと思っている、身の安全、明日の生活。これは本当はとても貴重なものなんじゃないか?自分の境遇が恵まれている実感すると、ありがたい気持ちになってくる。)

・見ず知らずの、言葉も通じないような人に、
自分はどこまで親切にすることが出来るだろう?
(道に迷う、だまされる、言葉が通じないなど、色々と面倒なことがあったけれど、必ず、誰かが助けてくれた。特にイスラム圏では、本当に信じられないほど、親切な人々に助けられた。彼らの旅人に対する好奇心、心の広さのおかげで、どれほど救われたかわからない。日本にいて、自分は同じように振舞えるだろうか?でも、人との交流からくる温かな気持ちを、自分でも味わいたいし、日本に来た旅行者にも味わってもらいたいと思えるようになった。好奇心と寛容さ、実践していきたい。)

世界は広く、多様だ。このあたり前のことを、言葉じゃなく、心と体で実感出来た。

しかし、今回の旅先でも目にした、壊れ行く自然の景観を思うと、悲しくなってくる。

中国では、あらゆる観光資源に手を加えようとしているようで、新しく造られたゲートの周りは、自然も歴史も感じさせないような、まるでショッピングモールのような状態になっていた。
ウズベキスタン、トルクメニスタンにおける、
過度な灌漑によるアラル海の汚染は今なお続いている。
アゼルバイジャンのバクーの港から見たカスピ海は、石油で黒光りしていた。
カザフスタンの団地の前の歩道で、そしてサバンナの真ん中にあるマサイ族の村で、
いたるところで、使いきりタイプのプラスチック袋に入ったトイレタリー製品のカラフルなゴミが、投げ捨てられ、風にゆられていた。

まだまだこれから行ってみたいところがたくさんある。
見てみたい緑の風景がある。
歩いてみたい草原がある。
泳ぎたい海がある。
そんなところが刻一刻と、
急激な速さで汚れていく。壊れていく。

自然破壊を防ぐには、
どうすればよいだろう。

ただ考えるだけでは、何も変わらない。

人の生活によって、
壊されていく自然。

生活の中で、出来ることを
やっていくしかない。

買い物のついでに、使い終わったポリ容器をリサイクルBoxに。
いらないものは、買わないし、もらわない。
ありふれた使い捨てじゃなく、使いやすい、大切な自分の食器で食事をとる。

Lohasな生活とは結局、
本当に必要なもの、大切なことを見極めて、
自然にも人にも優しく生きていくこと。
その心の強さを養い続ける生活なんじゃないか。
この旅を振り返り、ふとそう思った。

長々と失礼しました。
応援してくださってどうもありがとうございました。
ブログは今回で一旦、終了させていただきますが、
動画、写真などは1週間に2度、月、金曜日に更新していく予定です。
また、旅の費用に関する情報も更新していく予定でいます。
すべてが終わるまで、応援してくださるよう、よろしくお願い致します。

PS 新しい動画を一本アップしました。あ、あと写真も。
こちらの方もよければのぞいていってください!

動画→ http://www.lohaspackers.com/
写真→ http://www.lohaspackers.com/photo.html

3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

今日お父さんと新年の挨拶をしに会ってきたぞ!
相変わらず若いなぁ~!

また日本に帰ってきたら会いましょう!

lohaspackers さんのコメント...

あ、お父さんにあったのですかw
マサカズ兄ちゃんが大阪もどってきてたとわw
是非また再会したいですね!

K-co さんのコメント...

凄い事学んで来たね!最近、日本でニュース見てると明日にでも日本は崩壊するんちゃうか?って思う内容のニュースばっかりやからなんかやるせなかったけど、私もこの投稿文読んで改めて自分の置かれてる日本と言う未来・希望のある環境に感謝せなアカンなと思えました。