2007年10月13日土曜日

旅103日目 ナゴルノ・カラバフ無事帰国

お久しぶりです。
無事ナゴルノから帰国しました。
それにしても驚きました。
先日まで私たちがいたイランで人質事件が起こっていたとは。
心配してくださった皆様、大変申し訳ないです。
とりあえず


生きてます。

さて、イランですがいろいろ日本で報道されているとは思いますが、危険地域さえ除けば本当に安全な国です。
ニュースを読んでいると、あたかも危険な国かのように書いてありますが、これを真実と受け止めるのはどうもバカバカしい気がします。
そうだとしたら、日本はもっと危険な国ではないだろうか?。
毎日のように殺人事件のニュースが新聞の一面に載り、物騒な世の中になりつつある日本。新聞の記事を読んでも明るいニュースが少ない気がすのは私だけだろうか?
 確かに今回の件は麻薬組織による計画的犯罪かもしれない、ただこれはイラン全体から見れば本当に一部に過ぎない。
もちろん、危険地域と指定された場所は立ち入るべきではないし、無茶をすることはよくないと思う。
ただ、この一軒でイランという国に対してマイナスなイメージを持つことが本当に残念で仕方ない。

さて、今回は
ナゴルノでの生活について少しブログを書きたいと思います。




10/9

午前11;00 イエレヴァン出発
午後17;30 ナゴルノカラバフ首都ステパナケルト到着

到着してひとまず宿へ向かうロハスパッカーズ。一泊6ドル。若干高め。
その後ナゴルノカラバフの象徴ともいえる”我らの山”を人目拝見しにいく。




モアイ風の我らの山に癒され宿へ戻り翌日に備える。




10/10

午前11:00 ステパナケルト出発
午後12:00 シューシ到着

ここで廃墟といわれるシューシの観光。
やはり、すごい光景だ。建物のほとんどに人が住んでいる痕跡がなく、空爆でつぶれた民家、そして廃墟の中で生活する人々。ここの人はみんななんだか表情が暗い感じがする。戦後復興がまだ進んでおらず、町のいたるところに戦争の後が。
ナゴルノとアゼルバイジャンの戦争は10年ぐらい前に停戦になったばかり。いつまた戦争が開始されてもおかしくない状況があるためか、人々の表情は険しい。
旅人として訪れている自分がなんだか申し訳なく、自分に嫌気をさした場所でもあった。しばらく町をみて歩いてまわり、その後帰宅。

ちなみにこの写真はシューシを歩いている時に撮った一枚。
戦車が転がっている光景をみて、戦争の恐ろしさ、そして悲惨さを実感。


10/11

午前11:00 ステパナケルト出発
午後12:00 アグダム到着

ここアグダムは立ち入り禁止区域。たまたま私たちは当日知り合ったおじさんに連れて行ってもらうことが出来たが、本当に悲惨な場所。
最大の廃墟といわれるアグダム、町に一歩踏み入れるだけで今までに見たことのない悲惨な光景を目の当たりにした。

まず、90%以上の建物はすべて倒壊し、道という道もなく、そこら中に空爆で空いた穴が。。。人の気配すらなく、失礼かもしれないが、人類の終わりを描いているかのような町。
私たちはこの町の中心に今なお残るミナレットを目指し、廃墟の中を進んでいった。
ミナレットに到着し、10分という時間を与えられ、ミナレットに登ることに。
いざ登って上から眺める景色は本当に涙がでそうなぐらいヒドい光景で、ただただ目の前の光景に驚かされた。
何百メートルと続く廃墟。その数はものすごいもので、360度どこを見ても町は破壊されている。



戦争のニュースなどは日ごろ目にすることはあるが、いざこの廃墟を目にすると、今までに想像もしたことのない悲惨な光景だった。この光景がとてもショックで、10分もしないうちに戻ることにする。そしてその後、アルメニア南部の町に寄り道をし、夜イエレヴァンに帰った。

あと2分しかネットが使えないので、申し訳ないですがこの辺で今日は失礼します。ちなみに動画2本上がったので、よかったらみてください!!あと、先ほどナゴルノの写真もアップしたので、こちらもどうぞです!!

リンク→ http://www.lohaspackers.com/index.html

今回の動画はウズベキスタンのブハラ、ムイナクのものです。

では申し訳ないですがこの辺りで。。。

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